今回紹介するのは東海地方のお城。愛知県新城市にある『長篠城』です。
長篠城は、三河国(愛知県)にあった戦国時代の城。豊川と宇連川が合流する50mの断崖上にあり、平地側は水堀と土塁で守る要害でした。愛知・長野・静岡へ通じる道中にあり、武田氏と徳川氏が拠点として奪い合います。
「長篠・設楽原の戦い」の時には徳川方が守る城で、武田軍が1万5千の兵で長篠城を攻めたことから戦いが始まりました。現在、建物は残っていませんが、内堀と土塁の一部を見ることができます。
では、いってみましょう!
新東名高速道路「新城IC」より車で約15分ほど。無料駐車場があります。
長篠城は「日本100名城」のひとつで、国指定史跡。まずは、駐車場のとなりにある「長篠城址史跡保存館」から見学します。
観覧料210円(設楽原歴史資料館との共通券は400円)。長篠城の「日本100名城スタンプ」もここにあり、2階の受付でお願いするようです。
館内には「長篠・設楽原の戦い」に関する資料が保存・展示してあります。長篠城の英雄 鳥居強右衛門(とりいすねえもん)さんの活躍についても説明されています。※詳しくは新城市のWEBサイトをご覧下さい
では、いよいよ長篠城址へ。
縄張図の看板。駐車場や保存館は、二の丸・帯郭内にあたるらしい。
駐車場・保存館(二の丸)と本丸の間の内堀。今は空堀だが、昔は水堀だったみたいです。
本丸へ入ります。
先ほどの堀の内側には土塁が。
土塁に上り、歩ることもできます。
本丸内。建物は残っておらず、広いスペースがあるだけ。
長篠城内にはJR飯田線が通っていて、本丸と南側の野牛郭(やぎゅうくるわ)とが分断されています。残念!
宇連川を挟んだ対岸には、長篠城を監視する武田軍の5つの砦があったそう。その砦に徳川軍が奇襲をかけたことが、設楽原の決戦開始のきっかけとなりました。
線路の向こう、本丸南側の野牛郭へも行ってみよう。ここへは、駐車場から東へ歩いてすぐ。
踏切を渡ります。電車に注意!
踏切を渡ったところ。土塁が削られているみたいだね。もったいない!
野牛郭跡。何もなさそう。
野牛郭内の殿井(とのいど)。飲料水となる湧き水が出るところのようだが、草がいっぱいでよく分かりませんでした。
さあ、戻ろう!
以上で、長篠城・設楽原古戦場の訪問記は終了です!建物は残っていないけれど、堀や土塁、保存館など、いろいろ楽しめた長篠城でした。
※参考:新城市WEBサイト、現地案内板
※記載の情報は2017年6月時点のものです(追記:2019年4月現在 基本情報確認済み)。実際に訪れる際には公式HP等の最新情報をご確認ください